(1)小学校生活
学区違いの保育園に通っていたため、娘が小学生になった時点では、まわりに顔見知りの友達がほとんどいませんでした。そのため、みんなとすぐに仲良くなれるか、やや心配でしたが、学童保育でまず仲良しの友だちができて、その後は少しずつ友だちが増えていきました。
最初のうちは友だちが少なかったからか、娘は小2までは甘えっ子で、親と一緒の登校でした。「小学生なのに、このようなことをしていていいのだろうか」と、担任の先生に相談したら、「まったく問題なし、甘えたい時期にはたくさん甘えさせておけばよい、そのうち一人で登校したがるようになる」という返答。その通りでした。友だちの目が気になってきたのか、自立心が芽生えてきたのか、小3になると学校のかなり手前で「もうここまででいい」と言い出し、さらに一緒に登校する友だちができてからは「その子の家まででいい」となり、そして「もう親は家の前で見送るだけでいい」になりました。
娘は、ランドセルを使いませんでした。アメリカで見かけた小学生の多くは、通学用のリュックサックを使っていて、それと同じようなものを使いました。通学用のリュックサックは、布製で、横長のタイプです。軽くて歩きやすそうで、四角いため教科書やノートの角も痛みにくく、合理的に見えました。そこで、小学校の入学式の前にいくつかの店を巡り、ランドセルと通学用リュックサックの両方を娘に試させました。すると、「リュックサックの方がいい」とのこと。そこで、ランドセルは買わないことにしました。「まわりのみんなと違う」ということで、クラスの中で浮いてしまう可能性はありますが、小さいうちから個性を主張できるのは素晴らしいことです。念のため、「『やっぱりみんなと同じランドセルがいい』と思うようになったら、そのときはランドセルを買ってやる。ずっとこのリュックサックを使い続けなければいけないのではない」と娘には言っておきましたが、結局最後までリュックサックでした。
こんな感じのバッグでした
学習机も、「みんなと同じ」という発想をあえて避けました。買ったのは、小学生用の小さなファンシーな机ではなく、しっかりとした大人用のライティングデスク&チェストです。小学生向けの机よりは高かったですが、社会人になった今も愛着を持って使い続けているので、長い目で見れば安い買い物だったと思います。
(2)スイミング
当初は、おしとやかな女の子に育つように、お稽古ごとはピアノとかバレエがいいかなと思いました。しかし、あとで役に立つ(体力作りになる、小学校の水泳で惨めな思いをしなくて済む)という点と、達成感がある(級が上がる、タイムが短縮されるなどで上達の具合が分かりやすい)という点から、スイミングにしました。妻が高校で水泳部、私は若い頃サーフィンをやっていて、両親ともに水が好き、ということもあります。
スイミングスクールに通い始めたのは小1の冬です。3歳の頃に短期間スイミングスクールに通い、またそれ以外にもプールや海水浴によく出かけていたので、娘は水を怖がらなくなっていました。そのため、すんなり泳ぎが上達し、小学校中学年のうちにフリーのクイックターンができるようになり、個人メドレーの練習もはじめていました。私はいまだにフリーのクイックターンができないので、少し悔しいです。どんどん級が上がり、タイムも短くなっていって、小5か小6の時には「小学校のプールで先生たちと競争して勝った」と言っていました。しかし、同年齢でもっと速い子が何人もいたので、選手コースへの切り替えはしませんでした。
他のお稽古ごとを増やそうか、迷った時期もありました。しかし、「お稽古ごとの目的は、暇つぶしではなくて成功体験をすること、自分に自信を持てるようにすること」と考え、広く浅くよりは狭く深くの方がいいということで、スイミングだけを続けました。
(3)旅行
私のイベント企画の仕事のネタ探しをするために、娘が生まれる前から年に数回、国内外の集客施設を見に行っていました。対象は、博覧会や博物館、科学館、テーマパーク、ミュージカル、大規模ショッピングセンターなどです。娘が生まれてからは、家族3人で一緒に行くようにしました。
娘の初の海外旅行は、生後9か月でのアメリカ西海岸&ラスベガスです。とても小さな子供のパスポートは、親子で写真を撮って両名併記型にする方法と、単独で写真を撮って1人分で作成する方法があります。普通は前者を選ぶようですが、1人で作った方がいい記念になると考え、後者を選びました。ベッドの上で壁を背中に座らせて写真を撮りましたが、まだお座りがちゃんとできない時期だったので、じっとしていられるのは2〜3秒しかなくて、まともな写真がなかなか撮れずに苦労しました。パスポートの申請は代理人ができますが、受け取りは本人が行く必要があります。赤ん坊の写真を添付した書類を提出して、係員に「こんな小さい子供でも、本人を連れてくる必要があるのですか」と質問したら、「かわいいお顔を見せに来てください」と言われてしまいました。
このときの成田−ロサンゼルスの長旅は、まだ赤ん坊の娘が機内でおとなしくできなかったら親も地獄を見ることになるので、2週間くらい前から娘の生活リズムを少しずつずらしていきました。夕方発の飛行機だったので、生活サイクルを5時間くらい前倒しにすれば、離陸してすぐに夜のお休みタイムになって、機内ですやすや寝てくれるだろうという作戦です。これが見事に的中しました。離陸の際はエンジン音や気圧変化で少しむずがっていましたが、水平飛行になったらすとんと眠りについてくれて、その後着陸までほとんど目を覚ますことはありませんでした。
2歳くらいまで、長旅の場合はこの作戦を使いました。3歳くらいになると、外ではおとなしくするという躾が完成したので、いい子にしていられました。親としては気軽に国内や海外に出かけることができて、ありがたかったです。小学生の頃は、年に3回くらいは泊まりの旅行に出かけていました。
(4)ペット
娘が小2の11月に、動物愛護団体で働いている知人経由で、栃木県で捨てられていた子猫4匹のうち明るい灰色の子がわが家にやってきました。捨てられて数時間で保護されたようで、元気な女の子です。足の先だけ黒くて靴下を履いているように見えるので、ソックスという名前になりました。この子は、好奇心が強く、また運動神経がいいので、どこにでも上がってしまいます。そして小さいものを見つけると遊び道具にするので、机の上が毎日荒らされる娘の天敵になりました。
その後、小5の12月に、家のすぐ向かいの駐車場の端で、動けなくなった茶トラの子を保護しました。しばらく前から茶トラの母ネコが4匹の茶トラの子供を連れているのを見かけていましたが、その中でもっとも小さな子が3〜4日1匹だけでいたのです。近くで見たら、目ヤニで目が全然見えなくなって、やせ細って、か細い声で鳴いていました。近づいても逃げる力が残っていなかったので、簡単に抱き上げられました。動物病院で高価なインターフェロン注射を打たれて、値段の高い高カロリーのエサペーストを無理矢理飲み込ませていたら、死なずに済んで、クッキーと名付けられました。この男の子は運動神経が悪く、ソックスにちょっかいを出すと毎回組み伏せられていましたが、机の上には上ることができず、おバカで愛嬌があるので、娘の友達になりました。
猫を飼ったことと、娘がたくましく育ったことの相関関係については、不明です。「ネコにもいろんなやつがいる」ということを学ぶことで、「世の中は多面性・多様性に満ちている」ということを理解する一助にはなったのかもしれません。
(5)学習塾
小5になって、そろそろ勉強が難しくなってきたので、私がやっている塾に、国語と算数の週2回で通い始めました。私が担当するといろいろと面倒なことになりそうなので、指導を担当したのは他の講師です。宿題忘れはなく、遅刻や欠席も少なく、学習姿勢はまあまあでしたが、年に数回の実力テストでは、ぱっとしないごく普通の成績でした。
成績上位ではなく、さらに性格や精神年齢の点でも私立中受験向けではなかったので、地元の公立中に行かせることにしました。そのため、塾で勉強したのは、もっぱら小学校の勉強の復習です。出されるのはあまり難しい問題ではなく、少し考えれば解ける問題ばかりなので、塾で勉強しながら娘は、「勉強はそれほど難しくない」と思うようになりました。狙い通りです。
(6)テレビ
わが家では、娘が生まれる前から、テレビ番組はほとんどNHKで、ニュースと教養番組ばかりでした。そのため、娘が小さい頃から見ることができたアニメ番組は、NHK教育チャンネルのおじゃる丸と忍たま乱太郎、そして親が好きなサザエさんくらいです。テレビのつけっぱなしはせず、食事中にはテレビはつけないことにしていたので、テレビっ子にはなりませんでした。「うちはあまりテレビを見せてくれないから、小学校でみんなの話題についていけない」と娘は文句を言っていました。
(7)パソコン
小4の頃、ノートパソコンを与えました。親のお古のウィンドウズ95マシンです。載せたソフトは、一太郎、エクセル、ネットスケープ(ブラウザ)、タイピング練習、国語や算数の学習ゲーム、アンチウイルスなどです。日本語入力は、まだ早いかなとは思いましたが、将来を考えてローマ字入力を教えました。エクセルでは、簡単な関数を使って、お小遣い帳が作れるようになりました。
(8)食生活
引き続き、甘いものを食べさせないようにしました。その結果、チョコレートは好きでないという小学生になりました。コーラの美味しさには気づいてしまったので、旅行に行ったときや親戚が集まる場など、特別の時だけはコーラOKにしました。コーラにありつけると、すぐになくなってしまわないように、ちびちびと少しずつ舐めるように飲んでいました。
果物は、食べ頃でないもの、質の悪いものは与えないようにしていたので、全体的に大好きになりました。今でも、バイキング形式のレストランでは、山のように果物を取ってきてガツガツ食べています。果物が全体的に美味しいので、東南アジアが大好きになりました。
(9)その他のしつけ
わが家では、娘に「勉強しろ」と言ったことは一度もありません。本人がやる気を出すどころか、逆にやる気を失ってしまう言葉だからです。その代わりに、「宿題は、出たらすぐにやるのが当たり前」ということは徹底しました。週末にどこかに遊びに行くときも、「宿題が終わっているなら、***に遊びに行こうか」という話の流れで進めました。また、夏休みは「宿題が終わるならみんなで家族旅行に出かける、宿題が終わらないなら一人で留守番」ということになっていたので、娘は7月中に必死に宿題を進めて、できる部分はすべて終えていました。なので、娘の辞書には「宿題忘れ」という言葉は、たぶんないと思います。
次に、「みんなが***だから、私も***」という考え方は、わが家では通用しない、ということも徹底しました。たとえばゲームボーイ(当時はポケモンのゲームが人気でした)やみんなと交換するシール、ファンシー文具などは、「みんなが持っているから私も欲しい」というだけの理由では、買い与えませんでした。小学校低学年のうちは納得できない様子でしたが、親の職業が少し変わっている、国内や海外への旅行が多い、小学校高学年でパソコンを与えられるなど、いろいろな点で「うちは普通の家とは違う」ということが分かってきてからは、「よそはよそ、うちはうち」ということが理解できたようで、「みんなが***だから、私も***」という考え方はしないようになってきました。しかし、しっかりとその効用を説明できるものは、まわりが持っていようが持っていまいが、OKを出しています。たとえばゲームボーイのポケモンゲームは、「おもしろいから欲しい」「友だちと交信できるので友だちの輪に入れる」「今度の誕生日プレゼントに欲しい」などと自分なりに説得力のある理由を考えてきたので、「家に帰って、宿題が終わったら、遊んでもいい、しかし1日30分まで、外食や旅行の際に持っていくのは禁止」というルールで買い与えました。
また、「小学生のうちは、複雑な思考はなかなかできないので、学校の先生を無条件で信頼できた方が、学習効果の点でよい」と考えて、家では学校の先生のことをひたすら誉めるようにしました。疑問点があっても、それを娘の前では話題にしないようにしました。そのため、娘が学校の先生の悪口を言うことはほとんどありませんでした。
生活の上では、「寝る子は育つ」と言うので、早寝させるようにしました。小学校低学年のうちは9時就寝、高学年になってからは10時就寝です。しかし残念ながら、身長はあまり大きくならず、母親の身長を少し超えたくらいで背の伸びが止まりました。