それまでの自分たちの経験から、「娘は、親に頼ることなく、自分の力だけでしっかり生きていける、心身ともにたくましい人間に育って欲しい」と願いました。そのためには、どのように教育していけばいいのかを、夫婦で相談しました。
(1)自分に自信を持てる子にしたい=心が強い子にしたい
私が就職した広告制作会社は、過酷な職場でした。引き受ける仕事量が、社員の処理能力をはるかに超えていたのです。そのため、毎日終電近くまで働いて、休日は月に1日、月の残業時間(休日出勤を含む)は180〜200時間という生活でした。入社した社員の1年後生存率は10%くらいで、1年以内に90%の新入社員は、身体か精神を壊して会社に出てこられなくなっていました。
そのような厳しい労働環境でも、私は、精神的に潰れずに5年間勤務を続けることができました。なぜなら、自分の文章力に自信があったからです。小中学校で何度も作文コンクールに入賞し、高校では新聞部でコラムを担当、大学では演劇・音楽の評論誌自主制作サークルに参加していました。文章を書くたびに、「俺の文章はすごい」と自己陶酔していたのです。だから、「しんどい仕事だが、俺ならやり遂げられるはずだ、負けてたまるか」と、がんばり続けることができました。
自分に自信があるなら、たとえ嫌なこと、しんどいことがあっても、そう簡単には負けないものです。だから娘には、成功体験をどんどん積み上げて、自分に自信を持たせていきたい、そう考えました。
(2)健康で体力がある子にしたい=体が強い子にしたい
広告制作会社勤務で私が潰れなかったもうひとつの理由は、体力です。私は小学生の頃はチビでガリでしたが、中学校ではバスケ部、高校では軟式野球部で、身体を鍛えました。大学生になってからは、波乗りでへとへとになっていました。また、高校時代から深夜まで麻雀荘でアルバイトをしていたので、睡眠不足に慣れていました。このようなことから、20代の頃の私は、体力がありました。毎日3時間くらいの睡眠で、1週間は元気でした。
健康であり、体力があることは、とても大切です。身体が疲れ果ててしまったら、根性だけでは何にもできません。また、体力があるということは、自分の自信にもつながります。だから娘には、栄養に気を配るとともに、幼い頃から運動をさせて、体力をつけさせていきたい、そう考えました。
(3)個性を主張できる子にしたい=積極性のある子にしたい
商売人の家庭で育った私は、小さい頃から「うちは普通ではない」ということが分かっていました。そして、人と違っていることを気にしない、むしろ選べるなら他人とは違うことをしたい、という小学生でした。よく言えば在野精神のある子、悪く言えば天の邪鬼です。小学校の先生は、そのような私の性格をほめてくれました。作文を書くときは「おまえは、自分の思うままに、のびのびと書け」と言ってもらえました。中学、高校、大学でも、性格はそのままでした。
広告制作の世界では、アイデアが重要なので、独創性がとても重視されます。みんなと同じ考えしかできないと、「個性がない」と見なされ、仕事を失います。「みんなはこう思っている、しかし****という考え方もあるのでは」という複眼的思考が求められる世界です。この点で、広告制作の仕事は、私の性格に向いていました。「自分ならではの考え方ができること」を武器に、私は仕事を続けてきました。
娘が生まれた時期、海外の教育方法について勉強してみました。アメリカやドイツでは、「子供の個性をいかに伸ばすか」に力を入れており、日本とはかなり価値観が異なります。国際的に活躍していくためには、自分の個性をしっかり発揮できる人間でなければなりません。これからの時代は、日本だけという考え方にとらわれず、広く世界に目を向けていく必要があります。だから娘には、しっかりと個性を主張できる積極性を身に付けさせていきたい、そう考えました。