海外留学体験レポート B−6
アメリカ・メイン州・1年
R.N.さん(本人) 事後編 2013年3月掲載

 留学後の高校生活

2008年7月2日に帰国し、数日自宅でのんびりしてから、高校に通い始めました。私は休学扱いでの留学だったので、復学したのは1学年下のクラスです。元の同級生は誰もいませんが、水泳部の後輩たちがあちこちにいたので、すぐに馴染めました。3年生の階に行くと、元の同級生がたくさんいて話が弾むので、復学した当初は休み時間は3年生の教室にいることが多かったです。

学校の授業では、アメリカへの留学帰りということで、先生方がいろいろと気を遣ってくれました。たとえば英語のリーディングでは読み上げ係に指名され、「素晴らしい発音だ、以後の読み上げは毎回お任せする」とみんなの前で持ち上げていただいて、気が楽になりました。

留学出発は前年の8月7日で、1学期は最後まで高校に通っていたので、7月の2週間くらいは、二重に高校に通うことになります。1学期の成績は1年前に出ているということで、1学期の期末試験は免除されて、うれしかったです。

2学期の定期試験では、社会や理科はそれまでの勉強をかなり忘れていて、苦戦しました。けれども、留学に行く前は苦手教科で試験順位が学年下位だった英語は、学年上位、1ケタの成績が取れました。秋に受験したTOEICでは、スコアが890点でした。

1年遅れなので、18歳になったのは、高2の冬です。さっそく、高校のすぐ隣にある自動車教習所に通い始めました。1か月くらいで免許が取れました。アメリカの高校生たちは、かなり古いマニュアル車に乗っている者が多く、国によってはオートマのクルマは少ないかもと考え、免許はオートマ限定ではなく、マニュアルで取りました。

 大学受験

自分なりに頑張って勉強しました。苦手の英語の成績が一気に上がったので、受験勉強はかなり楽になりました。志望する学部は、外国語学部に決めました。学びたい言語は、スペイン語です。大学の教養課程と専門課程の間で1年休学し、今度はスペイン語圏の国に留学したいと考えてのことです。

受験した大学は、センター利用入試では、青山学院大学・外国語学部、関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学、南山大学です。関西と名古屋の大学は、記念受験です。全部合格できました。

一般入試で受験した大学は、早稲田大学・文化構想学部、上智大学・外国語学部・イスパニア語学科、上智大学・外国語学部・ポルトガル語学科、ICU・教養学部、東京外国語大学・外国語学部・スペイン語学科の5大学です。早稲田と上智は、合格点を超えた手応えがあって、その通り合格できました。ICUは何が正解なのかよく分からない問題が多かったので、「どうかなー」と思っていましたが、受かりました。

2月25日、外大の前期入試では、かなり難しくて苦戦し、目標点までは届きませんでした。そのため、3月6日の合格発表では、外大の掲示板の前で、紙が張り出されるのをドキドキして待ちました。受かっていました。スペイン語圏留学への第一歩を踏み出すことができました。

 大学生活

自宅から高校までは片道5キロ、自転車で20分くらいでした。大学は試しに自転車で走ったら片道8キロ、35分くらいで、走れない距離ではないので、天気のいい日は自転車で通いました。大学の講義はとてもおもしろかったです。外大祭は、規模は大きくはありませんが、各語科がその国の料理や飲み物を提供するので、珍しいものばかり並んでいて、楽しいです。

大学1年生の夏の家族旅行は、ヨセミテ国立公園とロサンゼルスでした。楽をしたい両親(英語は何とか通じるレベル)が、現地での英語のやりとりをすべて私に任せるので、少しは親孝行をした気がします。ディズニー・カリフォルニアやユニバーサルスタジオでの英語でのショーでは、両親が「今、何と言った」としょっちゅう聞いてくるので、なるべく同時通訳しましたが、その分ショーをあまり楽しめなかったです。

大学2年の終わりに1年休学し、中南米に留学してきました。前半は語学学校でスペイン語の勉強、後半はバックパックを担いでの貧乏旅行です。高校生交換留学に行く際に、最初にいいなあと思ったアルゼンチンにも、行くことができました。素晴らしい経験をすることができました。