海外留学体験レポート B−2
アメリカ・メイン州・1年
R.N.さん(本人) 事前編 2007年8月掲載

 英語の成績

英検は、ジャムスクールに通っていると強く受験を勧められますし、対策授業もやってくれるので、中1の夏に4級、中2の夏に3級に受かっていました。しかし英語は苦手で、中2まで成績は中位でした。中3になって多少上がりましたが、5教科の中では一番の苦手科目でした。

 留学を思い立つ(中1のある日)

留学したいなと思いました。新しい場所へ行ってみたかったのです。

 国際結婚した日本人女性と会う(中1の1月)

父の知人の日本人女性(アメリカ人と結婚)の美登里さんに会いに、横田基地に行きました。スーパーマーケットは異常に天井が高く、すっかりアメリカ仕様でした。

美登里さんの旦那さんは軍に整備士として勤務する黒人男性です。美登里さんは留学経験があり、社会人になってからはアメリカ西海岸で働いていて、現地で結婚して、たまたま夫の転勤で日本に来ているという状況でした。かなり豪快なことを言う人で、日本人なら普段は口にするのをためらうような言葉もぽんぽん出てきて、同じ日本人なのに価値観や意識が違うとはまさにこういうことを言うのだろうと感じました。

 アメリカで働いている日本人女性と会う(中2の夏)

家族でワシントンDCに行き、父母の知人の暁子さんに会いました。高校時代にAFSで交換留学に参加し、上智大学を経てアメリカの大学院に進学、その後はユニセフ、クレディスイス銀行、シティバンク、世界銀行という経歴です。世界銀行の職員食堂にも連れていってもらいました。彼女は私の留学を支持してくれました。夢の留学の実現に向けて確実に踏み出した瞬間であったと思います。

 職場体験(中2の冬)

職場体験で、陸上自衛隊朝霞基地に行きました。みんなフレンドリーで、制服まで貸していただきました。簡単な説明の後、基地の中をクルマで移動しながら訓練や展示館を見学し、昼食は長蛇の列ができる食堂で大盛りでした。そこで、なぜ自衛隊に興味を示してこの場に来たのかを問われて、返事に窮しました。あまり手の届かない変わった場所に行きたかった、そして日々が平凡過ぎるので危険な場所に行ってみたかった、というのが本音ですが、そんな気軽な考えであることは言えないので、さんざん悩んだあげくに「いろいろな世界を見てみたいから」と答えました。すると、「難しい理由なんかなくったって、『これがしたい』って思ってればいいんだよ。私達もそうやってここにいるわけだし」と言われました。その言葉で、しばらく忘れていた留学という言葉を思い出しました。留学する意義はこれから見つけられるかもしれないと考えました。

 受験勉強(中3)

受験勉強真っ盛り。私立高校に進学すれば留学が遠のくので、何とか第一志望の都立高校に合格するしかありません。留学のことはあとで考えることにして、まずは高校入試に向けての勉強です。ジャムスクールに毎日通って、がんばりました。

第一志望の都立高校に合格したら、学校でもジャムスクールでも、まわりの人たちがたくさん祝福してくれました。

 交換留学の団体探し(中3の終わり)

しばらくは何もやる気が起きなかったのですが、いい加減留学の準備を始めねばと思い立ち、まずはネットで団体を探し始めました。留学取り扱い団体は、ネットで検索すると山ほど出てきます。どこがいいんだかまったく分からないまま、父親に「信頼性ではナンバー1」と聞いたAFSという団体を見つけ、説明会の日程を確認。ついでに資料請求も行いました。また、AFSより応募時期が遅いYFUという団体も、父と相談すると「信頼性はありそうだ」ということなので、資料請求をしました。

AFSもYFUも、ホームページにいろいろな情報があり、参考になりました。ついでにネット上の掲示板で、留学に関する情報を集め始めましたが、こちらの方は嘘だか本当だか分からない話ばかりで、役に立つ情報がほんの少ししかありませんでした。

 AFS交換留学説明会

2006年4月、高校の入学式のころ、資料をよく見たら、間近にAFSの交換留学説明会がありました。急いで参加申し込みのFAXを送りました。2006年4月16日(日)、オリンピック青少年記念センターでのAFS交換留学説明会に出席。内容は留学先の各国紹介やAFSの紹介、質問コーナーなど。冬出発のアルゼンチンに憧れました。

 SLEP対策本購入

2006年5月に、説明会で紹介されていたSLEPテストの対策本が発売されたので、ネットで注文してゲット。開いた瞬間は目が点でした。普通の英語のテストとはまったく形式が違います。英検も変わったテストですが、あれともまったく別物です。SLEPテストである程度の点数を取らないと現地の高校が受け入れてくれないとのことなので、大変だなあと思いました。

 派遣希望国選び

応募の際にどの国への派遣を希望するか、記入する必要があります。どうすべきか、家族で何度も話し合いました。結局、英語圏で夏出発のアメリカだけを志望国にしました。

 合宿選考申込資格の証明書類

「英検2級相当の力があることを学校長が証明する」という書類を出していただけることになり、AFSの合宿選考の申込資格をクリアできるので、まずはこれに申し込むことにしました。

 面接試験対策

AFSの合宿選考の面接試験で、どのようなことを聞かれたらどのように答えたらいいか、その原稿を作ってジャムスクールの国語の先生に添削してもらいました。

 AFSへの出願書類の準備

AFSへの出願書類には「学年の中で成績が上位1/2以内にあることを証明する」というものもあります。この書類を出してもらえるかどうか、心配でした。高校の先生にたずねると、「6月上旬の定期試験の結果で判定する」とのこと。そのため、高校に入ってから第1回目の定期試験ですが、気合いを入れました。なんとかギリギリで、上位1/2に入れました。

 奨学金応募作文の作成

奨学金用の作文は、面接試験対策の原稿をもとに作成し、ジャムスクールで国語の先生に見てもらいました。準備時間が短かったので、深夜までがんばって書きました。

 SLEPテスト対策

SLEPテストは、本で勉強を開始しました。ジャムスクールの英語の授業の際にも、指導してもらいました。しかし、慣れない設問ばかりで、とまどうばかりでした。

 合宿選考

2006年6月23日(金)〜25日(日)の2泊3日の合宿選考は、金曜日の午前中で学校を早退し、会場に向かいました。まずは一般常識のテストです。親の持っている一般常識の本を読んで、一応は勉強しておきましたが、それほど難しくはありませんでした。次がSLEPテストです。リーディングはまじめにやったらけっこう解けた気がしましたが、ヒアリングは時間がなくてあせりました。その後は班分けされて夕食、雑談、風呂、アイスクリームでした。

2日目は、各国紹介、面接試験、グループディスカッション、ディベート、スピーチ&グループプレゼンテーションでした。ディスカッションでは、留学の際の注意事項などを話し合いました。アメリカの食材とキッチン設備でいかにして和食を作ってふるまうか、などです。

3日目は、グループディスカッション、合否発表の説明、奨学金についての説明など。書類が発送されるよりも前の7月1日にネットで合否が発表されるとのことでした。

 合宿選考合格者発表

2006年7月1日、時計と睨めっこして結果発表の12時を待ちました。意外と素っ気ない画面で合格を確認。まあ、一般常識もそこそこに解けたし、SLEPテストもまじめにがんばったから、こんなもんかなっていう感じです。その数日後、書類が届き、正式に合格を確認しました。

 各種提出書類の作成

2006年7月、提出種類がいろいろあるので、試験前だったのですが何とか作りました。

 SLEPテストの結果

2006年7月、SLEPテストの結果が送られてきました。アメリカの場合は派遣先の高校に受け入れてもらうためには45点が必要で、これが基準点となります。学校によっては50点を要求されることもあるそうです。45点に達しないと留学直前まで何度も再テストを受けることになるそうです。満点は95点で、「一発で45点取れるのは英語教育に熱心な私学の生徒か帰国子女くらい」とAFSの方の説明がありましたが、私の得点は46点。自分の運の強さにびっくりしました(なぜなら、SLEPテストはマークシート方式で、ほとんどの問題が四択です)。

 国際結婚した日本人女性とアメリカで共同生活

2006年8月上旬〜中旬、家族でアメリカ・フロリダ州のオーランドに行き、3ベッドルームの貸別荘で、横田基地からフロリダ州の西の外れの基地に引っ越した美登里さん母子(子どもは3歳の男の子と1歳の女の子)と2週間ほど共同生活をしてきました。留学の際の注意点をいろいろと聞くことができました。

 奨学金試験合格

2006年8月下旬、奨学金の試験に合格したという電話があり、その後手紙が届きました。親は、AFSの合宿選考に合格したときよりも大喜びしていました。

 プロフィールシート作成

2006年9月上旬、「プロフィールシート」という資料に貼る写真を準備しました。最近1年間に撮影した写真で、自分らしくて明るい表情のもの。意味を誤解される可能性があるので、Vサインはダメとのことです。意外にいい写真がなくて困りました。また、留学先に持っていく資料として、日本の伝統文化の写真もあった方がいいとのこと。これは出発までにいろいろと写真を撮って揃えていこうと思いました。

 予防注射・AFS行事への参加

書類を作ったり予防注射を受けたりAFSの行事に参加したり、あれやこれやしているうちに2006年が終わりました。

 派遣エリア・出発日決定

2007年2月下旬、AFSから手紙が届きました。派遣先は、アメリカ北東部になるとのこと。暖かいハワイ州やフロリダ州だといいなと思っていたのですが、残念ながらアラスカ以外ではアメリカの中で最も寒そうな地域です。ボストンは昨年の8月に行きましたが、札幌よりも涼しかった覚えがあります。きっと冬はキンキンに寒いのでしょう。どうなることやら。

出発日が8月8日予定なので、ラッキーなことに、夏休み入ってすぐの水泳部の合宿には参加できそうです。また、「出発前の7月に2年生の1学期の中間試験を受ける(私の学校は2期制)ので、2008年7月2日に戻ってきてすぐにある中間試験は受けなくてよい」と先生に言われました。これもラッキーです。

 留学準備の英語の勉強

アメリカに留学するのにSLEPテストで45点に届かない人は、毎月のようにAFSに行ってSLEPテストを受けることになります。すごく大変そうです。私は1発で46点でラッキーでした。しかし、「留学に向けて、英語の勉強にさらに力を入れるように。特に英会話」とAFSから言われていますが、たまにNHKテレの「英語でしゃべらないと」を見るくらいで、何もやっていません。

 派遣先決定

5月15日のファックスで派遣先が分かりました。メイン州の州都のAugustaから20マイルくらい離れた町です。まずはNYCに向かうようです。

 ホストマザーとのお手紙やりとり

さっそく、英語でお手紙を書いて送りました。すると、1週間くらいして、電子メールで返事が届きました。会えるのを楽しみにしている、地元の水泳のコーチが「バタフライを泳げる女の子が来るのはうれしい」と言っている、YMCAで冬も泳げる、夏は暖かく、秋は景色が美しく、冬は雪と風でとても寒く華氏0度以下になり、春は泥と虫の季節だけど新緑や花がきれい、通う高校は海外からの留学生を年に3人受け入れていて制服はない、などと書かれていました。

メールアドレスが記されているので、2回目以降のお手紙は電子メールでやりとりしました。だんだんと、現地の詳しいことがわかってきました。冬はスノーモービルやスキーを楽しめるそうです。

 派遣生オリエンテーション

6月8日の昼から10日の夕方まで、派遣生オリエンテーションがありました。初日の午後は、アメリカ大使館に行っての留学ビザの申請で、その後は現地生活についての説明や派遣生同士のディスカッションなど。出発当日の集合場所・集合時刻、登場する飛行機の便名などが分かり、いよいよ出発が近づいてきたという実感がわいてきました。「派遣生の心構えとしては、CARP、Communicate、Appreciate、Respect、Positive」だそうです。

 英会話の本の購入

リターニー(交換留学を終えて日本に帰ってきた人、つまり先輩)の方が何人も「この本はお勧めだ」という英会話の本を買いました。「旅の指さし会話帳・アメリカ」です。 

 ホストファミリー・プロフィールシート

6月の下旬、ホストファミリーのプロフィールシートが送られてきました。子供は3人で、お兄さんはカレッジなので自宅におらず、妹は高校を卒業、そして弟は高校生(9月から高3)です。犬とネコの写真もありました。犬の散歩、したいです。

 奨学金授与式

2007年7月14日(土)、ジブラルタ生命の会社での奨学金の授与式に出席しました。12名の奨学生が一人づつ名前を呼ばれて、ジブラルタ生命の社長から目録が渡されました。その後、1人3分くらいの英語のスピーチです。このスピーチの原稿は、1か月前から書き始め、何度も書き直して、しっかり暗記しておきました。

その後、昨年の奨学生(ジブラルタ生命奨学金第1期生)の留学体験談スピーチが英語でありました。発音がとっても外国人風で、かっこよかったです。テキサスに行くと、テキサスなまりの英語をしっかり覚えられるようです。

 荷づくり

出発の3日前から荷造りを開始しました。持っていきたい荷物の重さをすべて量ったら、50キロくらいになってしまいました。今回搭乗することになるJALのHPで調べると、国際線のエコノミークラスでは、預けられる手荷物は規定サイズ以下で2個(合計重量20キロまで)、そして機内持ち込みできるさらに小さな規定サイズ以下で1個と身の回り品として小さなバックが1個(合計重量10キロまで)です。

そこであまり使わなそうで重いものから除外していきました。でも、どうしても合計30キロにおさまりません。そこで、すぐには使わないものとおみやげ品(セーター、料理本、折り紙、折り紙本、浴衣、下駄、百人一首など)は、別便で送ってもらうことにして、何とか大型スーツケースと小型スーツケースとミニバッグで、30キロ以内に収めました。