海外留学体験レポート B−1
アメリカ・メイン州・1年
S.N.さん(保護者) 事前編 2007年8月掲載

 留学することになったいきさつ

英語があまり得意でない娘が中1の頃に、「留学したい」と言い出したので、いろいろと調べてみました。やはり留学に行くからには、短期留学ではなくて1年間くらい行かないと、英語力の大幅な向上は見込めないようです。そして、1年間で最も留学費用が安いのは、高校生の交換留学です。そこで、いくつかの民間国際教育交流団体をネットで調べ、資料を取り寄せてみました。

高校生の交換留学のメリットについては、「英語力の向上だけでなく、様々な困難や価値観ギャップに直面してそれを乗り越えることで大きく人間的に成長できる」と各団体の資料にありました。親としてはこの点にも大きな魅力を感じて、中2の秋の段階で「第一志望の都立高校に合格できたら、高校生交換留学に参加OK」というゴーサインを出しました。

留学費用は、団体や派遣国によって多少異なりますが、おおむね100万円前後。その他に雑費として30万円か50万円くらいかかりそうです。安いといってもかなりの金額です。しかし、交換留学に参加できるのは人生で1回だけです(大学生にも交換留学という制度がありますが、条件が非常に厳しいようです)し、都立高校ならば私立高校よりもたぶん3年間で100万円以上、学費が助かります。そこで、何とかやりくりすることにしました。

 派遣団体選び

私の知人に、もう30年くらい前にAFSでアメリカに交換留学した人がおり、現在はワシントンDCで世界銀行に勤務しています。娘が中2の時に家族でワシントンDCに行く機会があったので、その際に会って相談したら、「留学に大賛成」とのことでした。その後、娘の高校入試が終わったころに、「交換留学の団体としてはやはりAFSが現在でもベストと思うか?」とメールしたら、「AFSは老舗で信用できる団体と私は思う」と返事が来ました。

ネットでの情報を見比べて、さらに取り寄せた資料を見比べて、団体のこれまでの実績や取り組み姿勢、そして信頼感などから、
 第1志望:AFS
 第2志望:YFU
と決めました。この両方の選考試験に落ちたら、その程度の力しかなかったということで、留学OKは取り消しにしようと考えていました。

 行き先選び

2006年4月、AFSの説明会に行きました。経験者の話というコーナーがあり、交換留学でアルゼンチンに行った女性の経験談がおもしろかったです。何ごとに対しても楽観的で大らか、来る者を拒まずという国民性、壮大な自然、さらに親日的(関東大震災や第二次世界大戦の際にアルゼンチンは真っ先に日本に援助物資を送ってくれた)など、とてもいい国だと思いました。

しかし、言語が英語ではなくてスペイン語です。「英語はもうバッチリだから、さらにスペイン語も」という状況であればよいのですが、うちの娘は英語で苦しんでいる最中で、さらにここでスペイン語が混じってきたら、英語がどうなるのか分かりません。

そこで親子で相談して、行き先は安全策として、英語圏にすることにしました。AFSではカナダはフランス語圏に配属される可能性もあるのでパス、イギリスはなぜか派遣先リストになかったです。残るは夏出発のアメリカと、冬出発のオーストラリア・ニュージーランドです。

親としてはこの3つの国ならどこでもいいかなと思っていたのですが、娘は何回か行ったことがあるアメリカに親しみを感じており、さらに今回の申込では夏出発は高2の夏、冬出発は高1の冬で、今の高校の同級生たちと仲良く楽しくできているので出発は遅らせたいと考えて、夏出発のアメリカにすることにしました。

 選考試験

AFSの選考試験にはいくつかの種類があります。2007年度派遣生の場合は、6月下旬の合宿選考(派遣対象国はすべての国、合格者数は全体の2/3まで、受験資格は英検準2級)、7月と10月に行われる一般選考(7月はすべての国、10月はアメリカ15名とその他欠員の出た国)、4月から随時実施される支部選考(東京では実施されていない)の3種類でした。AFSの「応募のてびき」には、「英検準2級を持っている場合は、合宿選考を受けることを強くお勧めする」とありましので、合宿選考かあるいは7月の一般選考での合格を目指すことにしました。合宿選考で落ちても、すぐに申し込めば、7月の一般選考に間に合います。

しかし問題は英検です。娘は英検は3級までしか合格していなかったのです。これから準2級を受けたのでは合宿選考の申し込み締め切りに間に合いません。それ以前に、受かるとは限りません。けれども、応募の手引きに「『英検準2級相当の力があることを学校長が証明する』という書類があれば、合宿選考の受験資格ありと認定する」とありました。そこで高校の先生に相談しました。そのような書類が出せるかどうかは、高校入試の際の英語の得点や、最近の定期試験での英語の得点から検討する、とのこと。そして数日後、「英検準2級相当の力があることを学校長が証明する」という書類を出していただけることになりました。6月10日の締切日ぎりぎりに、その書類を添えて合宿選考に申し込みました。

7月上旬に結果が発表されました。合格でした。その後の受験者同士の情報やりとりによると、合宿選考を受験した志望者はその大半が合格したもようです。

 奨学金試験

ジブラルタ生命奨学金のチラシ
(2007年7月14日の奨学金
授与式の会場で入手)
*クリックで大きくなります
受かればラッキーですので、奨学金にも申し込むことにしました。AFSの奨学金は15種類もありますが、居住地や希望派遣先、親の勤務先の制限があるものが多く、うちの場合は受験資格のある奨学金は、半額貸与のAFSボランティア奨学金と、全額支給のジブラルタ生命奨学金の2つだけでした。そこでジブラルタ生命に狙いを定めました。

課題は、「なぜ今、アメリカ留学を希望するのか」という800字の作文です。提出がAFSへの出願と同時であることに気がつくのが遅れたため、準備期間があまりなかったのですが、親として「こういうことを書けばきっと高く評価される」とアドバイスし、さらにジャムスクールで添削してもらって、何とか仕上げて提出させました。

8月下旬に、まず電話で連絡がありました。合格(奨学金支給内定)とのこと。その後、奨学金支給内定通知書が郵便で届きました。なんと素晴らしいことに、アメリカ派遣の118万円が全額支給です。「うちの娘は何て親孝行なのだろう」と、久しぶりに思いました。

この奨学金の支給対象者は12名、うち2名はジブラルタ生命勤務者の子弟なので、一般枠は10名です。AFSでアメリカへ派遣される交換留学生は例年300名くらいなので、この全員が応募する場合は競争率は30倍、半分しか応募しないとしても15倍です。高校入試の倍率とは、まったく次元が違います。そのため親としては、「合格できる可能性は限りなくゼロに近いが、でもゼロではないのだから、後で悔いを残さないためにもできる限りのことはやっておこう」という考えでした。

後日この件でジャムスクールの国語の先生にお礼の連絡をしたら、「うちは作文や論文の指導が得意ですし、そのようなジャムスクールに長く通っている娘さんは今では国語がすっかり得意教科になっていますし、さらには今回の指導もいつものように気合いを入れましたので、作文の出来としてはかなりのレベルに仕上がっていました。これなら受かる可能性は充分にあると、手応えを感じていたのが本音です。大学の推薦入試やAO入試でも事前に書いて提出する作文や論文の課題がありますが、長年指導をしていると『この作文・論文でどの程度の点が取れるか』は分かるようになるものです」とのこと。そういうものなのかと思いました。

 説明会参加・書類作成

その後、何回か説明会があり、いろいろな書類を作成して提出しました。学校の先生に作っていただく書類も少なくありませんでした。

 予防注射

アメリカ1年派遣は、特に必要とされる予防注射が多いです。予防注射によっては、複数回の接種が必要で、その間に一定の空き期間を設けなければならないものもあります。そこで、派遣の10か月前の9月下旬から、予防注射を始めました。B型肝炎3回、麻疹(はしか)・風疹混合1回、おたふく風邪1回、ポリオ1回、水疱瘡1回の計7回をほぼ月に1回のペースで受けて、全部終わったのは、派遣3か月前の5月です。費用は合計で約4万円でした。

 AFS行事参加

AFSの場合は、「派遣が内定したら、本部や支部の行事に参加すること」というルールがあります。そこで、12月16日の支部行事「AFS多摩デー」に親子で参加してきました。その1週間後には、娘が1泊2日の行事に参加しました。留学体験者の話は参考になる情報が多く、役に立つと思いました。

 派遣エリア・出発日決定

2007年2月下旬に、AFSから手紙が届きました。派遣先は、アメリカ北東部になるとのこと。メーン州・ニューハンプシャー州・バーモント州・マサチューセッツ州・ロードアイランド州・コネチカット州の6州がニューイングランド地方で、これにニューヨーク州を加えた7州が、AFSの区分によるアメリカ北東部です。

派遣スケジュールは、現時点では出発日が2007年8月8日、帰国日が2008年7月2日を予定している、とのことでした。

 ホストファミリーの勧誘

AFSの行事に参加した際や、AFSスタッフの家庭訪問の際に、何回か「海外からの留学生のホストファミリーになりませんか」というお誘いを受けました。1年間、半年間、2週間など、いろいろなタイプがあるようです。AFSの多摩支部は、ホストファミリー不足に悩んでいる、とのことでした。

保護者は2人とも興味津々なのですが、自宅が狭く、留学生に与えられる部屋がありません。個室の提供はホストファミリーの義務項目ではなく、「リビングの一角に布団を敷いて寝るという方式でもかまわない」とのことですが、やはりそれでは申し訳ない気がします。

将来、娘が独立して娘の部屋が空いたら、その時点で留学生の受け入れを開始しようと考えています。

 AFSの選考試験の変更

2007年4月にAFSのホームページを見たら、2008年度派遣生の選考試験には合宿選考がなくなっていました。受験資格が英検準2級と厳しく、また参加費もある程度かかる(15000円のオリエンテーション費を含み計28000円)ので、受験者が少なかったのかもしれません。

娘の話によると、合宿選考を受験した人はほぼ全員が受かっている(ただし競争の厳しいオーストラリアやスイスを志望した人の中には、志望国変更で合格となった人がいるかもしれない)とのことなので、「高校生になったら交換留学をしたい」と考える人にとっては、「英検準2級まで取ればAFSで交換留学できる」ということで、この合宿選考はなかなか素晴らしいシステムであると思います。合宿選考がなくなってしまったのは、合宿選考に参加できるような人は一般選考でも合格できる、ということなのかもしれません。

 派遣先決定

5月15日に、AFSから「PLACEMENT INFORMATION」という書類がファックスされて来ました。派遣先はメイン州の州都のAugustaから20マイルくらい離れた町です。

家にある世界地図帳では、その町を発見できませんでした。そこでグーグルのマップや衛星写真で調べると、見つかりました。広大な大自然の中にぽつんとある、小さな町です。観光資源は何もなさそうです。とすると、よそ者が来ることは滅多にない、街のみんなが顔見知りというような町かもしれません。とすると、たぶん治安が良さそうです。少し安心しました。

 ホストファミリーとの手紙やりとり

娘とホストファミリーの手紙やりとりが始まりました。「PLACEMENT INFORMATION」という書類では、子供の欄やペットの欄が空欄で、「アメリカの家庭としては珍しいパターンだな」と思っていましたが、手紙によると、子供が3人・ペットが2匹とのこと。3人の子供のうち一番下は高2の男の子で、たぶんうちの娘と一緒に高校に通うことになるのでしょう。

 保護者オリエンテーション

6月9日の午後、保護者オリエンテーションがありました。この夏AFSでメイン州に派遣されるのは、東日本では12名で、そのうち女子が8〜9名と多数派です。会場全体(東日本の夏組)でも、女子が7割くらいを占めているように見えました。この時点でホストファミリーが決まっているのは半分くらいでした。

「AFS1年間の交換留学では、途中でホストファミリーがチェンジになるケースが30%くらいある」とのこと。意外な高率に驚きました。「海外でも使える携帯電話や日本とメールやりとりできるパソコンを持っていくことは、現地の言語や生活に慣れ親しむ阻害要因になることが多いので、AFSとしてはお勧めしない」、という説明もあり、これはその通りだろうからうちも持たせないことにしました。「派遣生を送り出す親の心構えとしては、3つのM、見守る・待つ・任せる」だそうです。AFSなのになぜ英語ではないのだろうかと思いました。

 奨学金授与式

2007年7月14日(土)、ジブラルタ生命の会社での奨学金の授与式に親子3人で出席しました。奨学生のスピーチで、うちの娘だけむごい出来だったらどうしようとドキドキしましたが、まあまあ普通のレベルなので安心しました。

奨学生は第1期が10名で、北は岩手県から南は福岡県まで、関東地方は4名でした。娘が合格した第2期は12名で、北は北海道から南は福岡県まで。関東地方は5名でした。

式典に続いて、立食式のパーティーです。かなり豪華な料理が並んでいて、ノンアルコールなのが実に残念でした。パーティーでは、AFSの方やジブラルタ生命の方、そして他の保護者の方々といろいろな話ができて、実に有意義でした。AFSの2007年夏の合宿選考がなくなったのは、「AFSとしてもいろいろな選考方法を考えているので、今年はそれがベストという判断からそうなった、今後については何とも言えない」とのこと。ジブラルタ生命の奨学金試験の合格難易度については、「毎回、完成度の高い作文がたくさん集まっており、極めてハイレベルな作文コンテストとなっている。今回ここに集まった第1期・第2期の奨学生たちは、その厳しい選考にパスした、特に優秀な者たちであるので、皆さんの今後の活躍を大いに期待している」とのことでした。

最後の晩餐

最後に食べるご馳走は、娘は「牛タンがいい」と言うので、出発前日に吉祥寺のネギシに行きました。そして豪華にも、牛タンダブル定食をいただきました。いつものように美味しかったです。